惨めさを感じず、痛みなく、後悔もなく前向きに恋人と別れる方法。
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
大晦日の夜(前記事です)、自分の心の望みに蓋をする癖に気づいて、
うまくいかなくて傷つくのが怖くても、心の望みに蓋なんかしないで、それに忠実に生きようと決めて3日目の今日なのですが。
早速、その決意を試すかのような流れがきました。
今「お互い自分に集中しよう」と離れている彼から、「今月中には一度ちゃんと話す機会を設けたい」とメールがきました。
そのメールを見てから、私が考えたこと。
「とうとう来たか、怖い。嫌だな。別れようって言われるんだろうな、会いたくないな」
↓
「でも向こうがそうしたいなら仕方ないよね。引き延ばしたってうまくいかないし」
↓
「どうやって話せばいいかな、その後親とか周りにはなんて言おうかな」
はい来たーー!!
自分の心の声、望みには見向きもせずに、~~だから仕方ない、の逃げ癖です。
彼に勝手に全部ゆだねて、自分振られるかわいそうな被害者になって、
望んで叶わないという惨めさを避けるためにものわかり良い感じで先回りして諦めて、
諦めた後の自分をどう取り繕うか(自分自身にも周りにも)を考えてる!!!
ほんっとうにいつもやってるんだな、と自分に絶望すると同時に、気づいた自分を少しほめました。
もういっここの流れでわかったことがありまして。
上記のように考えたと同時に、「私が心を決めたから、状況が動いたのかな」とも思ったんです。
ずっと見ないふりして、逃げ続けてきたことに気づいて、
今からは自分の望みをちゃんと受け止めてそのために動くって決めたから
ずっと膠着状態だった状況が動き出した。
本当に逃げずに動く?って試されてるのかもしれない。
そう思ったのに、「でも実際はそうじゃないのかもしれない。ただ彼が早くすっきりしたくなっただけなのに、そんなふうに考えてたら馬鹿を見るんじゃない?」と自分の思いを疑い、「正解はどうなんだろう?」と主導権を外に渡そうとしてしまった。
私が「私が心を決めたから、状況が動いたんだ」と思ったならそれでいいのに。
自分を信じずに、外になにかよりどころを探そうとする。
今までずっとそうしてきたんだと、気づきました。
本やブログや占いに逃げて、自分を信じなかった。ここでも勝手に主導権をゆだねて、自分では何も決めずに、状況に振り回されるかわいそうな自分になってた。
私がそう生きることを選んでた。そう心底、腑に落ちました。
望みだけじゃなくて、今回のようなことでも、自分の感じたことを信じる勇気。
そして、自分の感じたことを信じて、自分で決めて動いた、その結果を受け止める覚悟。
その勇気と覚悟ができない故に、ネットや本やブログをさまよって、「惨めさを感じず、痛みもなく、後悔もなく前向きに恋人と別れる方法」みたいなものすごくあさってな方向にエネルギーを向けてしまっていました。
あるわけないだろそんなん!!!
彼を思い通りにすることは出来ない。結果的に話して、別れることになるのかもしれない。
それを「いや、絶対別れないし!!」とかするのは違う。
彼は彼、状況(現実)は状況として、少なくとも私だけは「私はどうしたいのか」「何を望んでるのか」「どう感じてるのか」に目を向けてあげる。
そのうえで、彼、状況のせいにしないで自分で決める。
決めた結果失敗したり笑われたり、かわいそうだと思われたりするかもしれない。その怖さも引き受けて、自分で決める。
これを書きながら何度も目をぎゅっと閉じてしまうほと、私にとっては大きく揺さぶられることですが、
自分で決めるんだと決めたら、肝が据わったというか、少し落ち着きました。
とか言いながら、ちょっと気を抜くとすぐ、少しでも傷つかないため、惨めにならないために予防線をせっせと張り始めてしまうんですけどね。
そのたびに今日の記事のように一人突っ込み、修正です。
今日もお読みくださり、ありがとうございました。
やっと戻ってきました。そして、新年へ。
やっと戻ってきました。
毎日って決めたのに我ながら情けないですが、書けなかった。
スマホでも、PCでも、このブログを開くことさえできませんでした。
忙しかったからではなく、開くことも書くことも出来なかったんです。
逃げてました。目を逸らしていた、と言うべきか。
でも、自分の中では1秒も忘れてなくて、ずっと考えてた。
厳密には考えてたではなくて、感じようとしていた、見ようとしていた、
自分を理解しようとしていた、何から目を逸らしてるのか向き合おうとしてました。
苦しかったーーーー
激しい苦しさではなくて、じわじわと追い詰められていく、抜け出せない苦しさでした。
特に年末の昨日、今日。
もうすぐ今年が終わる、このまま終わると思うと胸が苦しかったんです。
比喩ではなくて、本当に胸が痛くて、苦しかった。
心が私に「気づいて!」って訴えてるような息苦しさを伴う感覚。
電車に乗ってても、買い物中でも、家族と話してても、何度も何度もきて、
「なんだろう?私はどう感じてるんだろう?どうしたいんだろう?」と
必死で向き合いました。
でも、そのまま年を越してしまって。
行く年来る年も見終わって、お風呂に入って、湯船につかった時に、
「今願ったことが叶うんだとしたら、何を願うだろう?」とふと考えました。
浮かんだのはたったひとつだけ。
お金でも贅沢でもなく、好きな人とこうやって一緒にお風呂に入りたい。
笑いあって一緒にいたい。それだけでした。
具体的には今「お互いに自分に集中しよう」と離れている彼と。
ものすごくびくびくしながら、
彼とそうなっているところを素直に思い浮かべてみました。
すごくうれしい、満たされた気持ちがこみ上げるとともに、
「期待して裏切られたら傷つくからやめよ!」という強い抵抗が。
そこで気づいたんです。
いつもこうだなーって。
ちょっと望んで、その後すぐ傷つかないように手を引く。
そうやって、心からの望みをいっつも蓋してきた。
しかも「~~だからしょうがない」って周りのせいにして。
今回だったら、「こないだLINEしたけど返事がないんだからしょうがない」。
そんなすぐ諦めるの?LINEで1回返事がなかったからなんなの?
うまくいくかわからないから、怖いからやめとく、ってなんなの??
うまくいくかわからないけど、やってみようよ!
最初に望みを思い浮かてこわごわ具体的に場面を想像してみた時、
私が彼に1番言ってほしかった言葉は「うまくいくかわからないけど、やってみよう」でした。
本当は私が自分に言いたかったんだ、と気づきました。
やってみてうまくいかなくても別に終わりじゃない。
その時点でどうしたいのか、また心の声を聞いて好きなほうに進めばいい。
勝手に「これがうまくいって、これはだめ」って自分の中で決めてるから
1回思ったようにうまくいかなかっただけで「もうだめだ」ってなっちゃう。
いつも心の望みを受け止めて、そのために動いてたら、だめなことなんてない。
いつだって進めるし、いつだってしあわせだ。
望みを思い浮かべて、そのために動くこと。
私はいつも同時に、望みが叶わなかったときに傷つかないようにブレーキをかけてしまっていた。それを止める。
傷つくのが怖くて、うまくいく保証がないからって、ブレーキをかけてる自分に気づいたら、「いつもの癖だ」って認識してもう一度望みをちゃんと受け止める。怖くても手を伸ばす。
怖くてもいいから。逃げそうに何度なってもいいから。
そこで気づいて、心の声、望みにもう一度向く。
あぁ、ここまでこれて(気づいて進めて)良かった。
年越しにはちょっと遅れてしまったけれど、私の中でも新年を迎えられました。
本当にまとまってなくて、読みにくくてすみません。
2016年、このブログを1度でもお読みいただいた方に感謝をこめて。
ありがとうございました。
2017年もよろしくお願いします!
自分の人生を引き受ける覚悟
今朝起き抜けに何故か降りてきてハッとなった言葉があるので忘れないうちに。
私に必要なのは、自分の人生を引き受ける覚悟だ。
どこまでいっても、誰かが、何かが、
私の人生を引き受けてくれることを期待してた。
具体的なとこだと、彼氏や仕事が。
自分を大切に生きるのも、そうすればそれ(私の人生を引き受けてくれる何か)が与えられるような気がしたから。
そうじゃない。
そんなのあるわけないし、あったとして私の人生みすみす渡しちゃうの?
そんなわけない。というか、あるわけないそんな何かを求めて彷徨ってきたのが今だ。
人生のいいことだけ欲しい。
恋愛もときめいて、幸せな蜜月だけ欲しくて、その先の現実は見たくない。
失敗とか嫌だ。
惨めな想いなんてしたくない。
全部を引き受ける覚悟がない。
自分の人生が重過ぎる、持てない。
だから昔から、何のために生きるんだろう?ってよく疑問に思ってたのかもしれない。
いいとこ取りしようと思うと、
失敗や面倒を避けようと思うと、
動けない。すごく安全な狭い範囲から出られない。
だから、どんどん一人を好むようになった。本当は寂しいのに。
新しいことにチャレンジしなくなった。
チャレンジしても、傷つかないように最初から諦めたふりしてた。
私はどうしたいの?
失敗や面倒を、
惨めな想いや傷つくことから逃げ続けて、
少しでも安全な自分の部屋に閉じこもって生きていきたいの?
違う、私は素敵な世界が見たい。
触れたい、聴きたい、見たい、関わりたい。
私に必要なのは、自分の人生を引き受ける覚悟だ。
いいとこ取りじゃない、全部を引き受ける覚悟。
失敗が怖くてもいい、惨めになったら逃げたくても、時には逃げてもいい。
でもそれを他人事にしないで、他人や環境のせいにしないで、自分の人生として引き受ける。
いい時の自分しか受け入れないなんて、そうじゃない時の自分を見捨ててるも同然。
自分を大切に生きるって、楽しいことややりたいことを追求するだけじゃなくて、
不安や惨め、苦しい自分も大切にすることだと思った。
そういう自分も受け入れて、そして自分で救ってあげる。
まだ抽象的だけど、取り急ぎ忘れないように覚書です。
自分を大切に生きる Day4 なんでこんなに変わることが嫌なのか
前記事の続きです。
なんで、頭では変わりたい!と思って決意するのに、
気づくと変わることから必死で逃げてしまうのか。
そうまでして変わることを拒むのは何故なのか、自分なりに掘り下げてみました。
結果、出てきた想いは、
悔しい、この自分で苦しんできたからこの自分で報われなきゃ割りにあわない、
負けたまま終わるなんでいや、
少しも変えない、このままの自分で報われたい、
でした。
つまり、
「自分は自分を愛さないままで、周りが愛してくれる」じゃないといやーー
ひねくれたままで愛されたいー
拗ねて、心閉じたままで、幸せになりたいー
ということですね。
うぅ、書いてて苦しい…
でもこれが本音です。
どこかで、「自分を大切に生きる」というやり方を手に入れて、今まで辛かった分取り返してやろう!みたいな下心があるんです。その奥にあるのは、やっぱり周りを見返したい、なんだろうなぁ。
どこまでいっても、周りと比べてるんですね。比べられてるんじゃなくて、自分が率先して比べている。
で、上で書いた本音を見た上で、
「今、私はどうしたいか?」です。
私は、変わりたい。
自分を大切に生きる世界で生きてみたい。
変わる、ということは私にとって、
ポジティブなことだけじゃなくて、
今までの苦しんでもがいてきた、それでもいくらかは愛されてきた自分と決別する、という痛みを伴う。
それでも、変わりたい。
今までの自分と、決別する。
自分を大切に生きる、という決意の裏にある、痛みを伴う決意でした。
これからは、口では変わりたいと言いながら変わることから逃げる自分に気付いたら、
それは決別した自分が縋ってきてるのだと、その手を自分で解いて、痛くても進みます。
自分を大切に生きる Day3 〜本っっ当に変わるのが嫌らしい〜
こんばんは。
今日も自分を大切に生きようと奮闘しています。
タイトルにも書いたのですが、
私は変わることが本当に、ほんっとーーーーに、本当に本当に、どんなに書いても足りないくらい、変わることがものすごく嫌なようです。
自分の心を蔑ろにしてきて、
これだけ苦しい状況になって、色々学んで、
自分が自分を大切にすることが全ての始まりなんだ、と気付いて実践しようと決めたのに。
気づくと、
「もうこんなに苦しんだんだから助けて!」
「まだ上手くいかないの?なんで私ばっかりこんな目に?」
「彼からまだ連絡がない!もう今の状況は辛いから白黒つけにいこう!自爆してもいい!」
と思ってる自分に気づきます。
そう思うことで、本当の問題(自分が変わること)から逃げてる。
ずっとこうしてお茶を濁して逃げてきたのですが、今回こそはと腹をくくったこともあり、上記が出るたびに自分で突っ込むようにはなりました。
それでもあまりにも繰り返すので、なんでそんなに変わりたくないのか、をもう一段深く分析してみました。
すみません、続きます。
自分を大切に生きる Day2
今日の自分を大切に生きる、は
寝る、です!
ただいま23時!わたしにしては、とても早いです^^
本当は、今日は仕事中に起きた自分を大切にするのことを書きたかったんだけど、眠くて無理そうです。
眠い時に出来るだけ寝る、美しい話ではありませんがトイレに行きたい時に行く、と身体の声に従うことは、自分を大切に生きることのいちばん基礎だと思っているので、この眠さを尊重したいと思います。
自分を大切にして生きる 其の一
自分の嫌なところ。
すぐ怒ること。
怒りんぼうなんです。
しかも、自覚してるくせに、
人に指摘されるとムカッとしてしまう。
書いていて、いたたまれませんが、事実です。
怒りんぼう。
そんな自分が好きか?と問われたら、
もちろん好きではありません。
好きで怒ってるわけじゃない、
こんなことされたから、本当は怒りたくないけど、仕方なく怒ってるんだ。わたしは悪くないもん。怒らせる周りが悪いんだもん( *`ω´)
というのが、わたしの心の声でした。
いつも、「〇〇だから」と理由をつけて、
怒る自分をそのままにしてた。
怒るの我慢するなんて、良くない。
好きなだけ怒ってイライラさせてあげよう、と。
でも、そうしてみても幸せではありませんでした。
怒ってイライラしてる自分のこと、好きじゃなかった。
怒れば怒るほど、イライラすればするほど、私の魂は悲しんでいた気がします。
自分を大切にして生きる、と決めてまず徹底しようと思うこと。それは、
「今、わたしはどうしたい?」
と自分に聞いて、その想いを出来るだけ叶えることです。
その通りには叶わない場合でも、尊重すること。
さっき早速それをやってみたんです。
大きな重い荷物を運んでいて、電車を乗り継ぐための移動で、いつもならイライラする状況でした。
「今、わたしはどうしたい?」
「だって、重いもの運んでて大変なのに気遣ってくれないのが悪い( *`ω´)イライラしてもしょうがないもん!」
「イライラしたいの?」
「したくないよ!でもしょうがないの!」
「本当にしょうがないの?何も出来ないの?イライラしたくなくてもするしかないの?そんなに無力なの?わたしはどうしたいの?今、どうする自分が好きなの?」
「イライラしたくない。優しい気持ちでいたい」
「じゃあそうしよう!誰もそれを邪魔しないよ。自分が選んで、決めるだけだよ」
「そうする!」
という、脳内会話が行われ、
優しい気持ちになることができました。
自分がイライラしたくてしてたんですね。
イライラしても仕方ないと思える理由を握りしめて。「〇〇だから仕方ないの!」って。
選べるんですね、自分で。
本当に本当に小さい一歩ですが、とっても嬉しいです。
他にも「〇〇だから仕方ない」って、思ってることがたくさんありそう。
1回1回気づいて、自分と会話して、今回みたいに進んでいきたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。